杜斌|長春餓死者戦:中国国共内戦で最も悲惨な包囲、1947.11.4~1948.10.19

10年の歳月をかけ、困難な政治環境下で、様々な貴重な史料を収集し、生存者へのインタビューや関連回想録を通じて、国共内戦における「長春包囲」の全貌を世界で初めて記録した書籍を完成させました。 ◎生存者の写真や関連史料を収録し、「日誌」形式で、餓死による戦死者が街の外に横たわり、街中に餓死者が溢れ、万籟寂静の無人地帯を逐日展示しています。

「『我々は軍令を受けました。彼ら(難民)は敵であり、死ななければならない。』」 ——Andrew Jacobs『ニューヨーク・タイムズ』2009年10月1日

毛沢東は長春を中国共産党と中華民国政府が対峙する首都として奪取しようとし、林彪は人の出入りを禁止し、食糧の搬入を禁止する餓死作戦で350日間包囲し、少なくとも63万人の都市で、わずか17万人が残った。

「長春包囲に参加した共匪部隊は、東北共匪国際部隊の混成部隊によって編成された。長春の北西方面には……モンゴル騎兵がおり、これらのモンゴル騎兵部隊は原始的な殺人的獣性を備えていた……長春の真南には……韓国共産党の独立師団がおり……共匪の民族離間の政治訓練を経て、中国人民に対して偏った嫉妬と憎悪の観念を持っていた。……これらの異民族部隊は、中国人民を餓死させる政策を特に厳しく、徹底的に実行し、いかなる哀願も彼らの同情を引くことはなかった。」 ——范叔寒、天津『益世報』、1948年9月16日

「八里堡は私の軍の陣地の最前線に位置していた。私の軍の火力は村の大部分を支配しており、村の反対側には敵の掩体壕が林立していた……私はこの人間の地獄に入った。……人肉1斤の価格は250万元で、食べられるものの中で最も安いものだった。多くの親が自分の子供を食べた。」 ——関寄晨、中国共産党『東北日報』、1948年9月21日

「ある男が無言で人骨をかじっており、倒れた女性をじっと見つめ、一心不乱に骨をかじっていた、長くて大きな骨を。」 ——日本の生存者、遠藤誉

「長春解放の翌日、私はジープに乗って長春市内を一周したが、私の車は動けなくなった。少し進むと、私の通信員は飛び降りて死体を脇に引きずり出さなければならなかった。また進み、また飛び降りて、死体を脇に引きずり出した。」 ——包囲高級指揮官、中国共産党東北野戦軍独立第八師政治委員、鄒衍

「私の父と弟は数ヶ月前に餓死し、犬が遺体を運び去った。私の母は最高の待遇を受け、国民党軍に埋められたが、解放後、解放軍に掘り起こされ、焼かれた。」 ——長春生存者、范伝華

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